【小学生でもわかる】ハマスとイスラエルはなぜ戦争?関係をわかりやすく解説!

2023年10月7日、イスラム系武装組織のハマスがイスラエルを攻撃しました。

戦争状態になったハマスとイスラエルですが、なぜ戦争が始まったんでしょうか?

調べてみると、紀元前から現在に至るまで複雑な事情があったようです。

小学生でもわかるように、イスラエル・パレスチナ問題をわかりやすく解説してみました!

目次

ハマスとイスラエルが戦争状態に

https://twitter.com/May_Roma/status/1710578934851473696

2023年10月7日、イスラム系武装組織のハマスがイスラエルに攻撃を開始しました。

これまでの経緯をまとめると、

10月7日
ハマスがイスラエルにロケット弾による大規模攻撃
イスラエルのネタニヤフ首相は「戦争状態にある」と宣言
イスラエルが空爆で報復
10月10日
イスラエルがガザ地区周辺を制圧
10月13日
ガザ地区住民に24時間以内の避難勧告

ハマスとイスラエル双方の死者は2000人を超えています。

ハマスについてはこちらでまとめましたので御覧ください。

多くの民間人も犠牲になっており、国連や米露・欧州も事態の収拾のため動いています。

一刻も早く戦闘が終結してほしいですね。

なぜ戦争?ハマスとイスラエルの関係をわかりやすく解説

調べてみると、イスラエル・パレスチナ問題には歴史的な複雑な事情があるようです。

ざっくりまとめると、

・3000年前のパレスチナにはユダヤ人が住んでいた
・戦争に負けてユダヤ人が追い出された
・以降はローマ人やアラブ人が住んでいた
・ユダヤ人は1000年以上世界中で迫害された
・第二次世界大戦後、パレスチナにユダヤ人の国イスラエルができた
・住んでいた土地から追い出されたアラブ系のパレスチナ人ブチギレ
・これまでにも度々パレスチナとイスラエルでは戦闘が起きていた
・パレスチナ人の中でも過激派がハマス

順番に見ていきましょう!

紀元前11世紀~イスラエル王国

紀元前11世紀から紀元前8世紀まで、現在のパレスチナの土地にイスラエル王国がありました。

ユダヤ人の国です。

エルサレム神殿(Wikipediaより引用)

2代目の王様のダビデ王が国を大きくし、3代目のソロモン王がエルサレムにユダヤ神殿を建設しました。

ソロモン王の死後、イスラエル王国は分裂し、弱体化していきます。

紀元前597年~バビロン捕囚

イスラエル王国滅亡後、新バビロニア帝国の支配下に置かれたユダヤ人。

王様の命令で、ユダヤ人達はバビロニア(現在のバグダッド周辺)に捕虜として連行、移住させられます。

これをバビロン捕囚といいます。

バビロン捕囚(Wikipediaより引用)

バビロン捕囚は、紀元前597年から紀元前578年まで計4回行われました。

この時、エルサレムのユダヤ神殿は破壊されてしまいました。

紀元前537年頃、ペルシャ王のキュロス二世が、ユダヤ人のエルサレムへの帰還と神殿再建の許可を出しました。

これによりバビロン捕囚は終わり、ユダヤ人達は故郷に帰ることができました。

30年頃:キリストの磔刑

磔刑(Wikipediaより引用)

紀元0年頃にイスラエルで生まれたイエス・キリスト

紀元30年頃、エルサレムのゴルゴタの丘で磔刑に処せられます。

66年~ユダヤ戦争

紀元前1世紀頃には、ローマ帝国の属州となっていた現在のイスラエル・パレスチナ地方。

ユダヤ人の文化を尊重し、うまく統治していたローマ帝国。

しかし、ユダヤ属州の管理責任者のやらかしから、ローマ帝国とユダヤ属州の全面戦争に発展。

ユダヤ戦争(Wikipediaより引用)

この戦争でエルサレム神殿はまたも破壊されてしまいます。

戦争終戦後も、ユダヤ人の反ローマ感情と国家としての独立感情は高まっていました。

132年にはバル・コクバがリーダーとなり、ローマ帝国に対して反乱を起こします。

最初はうまくいった反乱ですが、3年後にエルサレムは陥落。

当時のローマ皇帝ハドリアヌス帝はユダヤ文化の根絶を図り、エルサレムへのユダヤ人の立ち入りを禁止。

ユダヤ属州の名称もシリア・パレスティナと変えられました(現代まで続くパレスチナの名前の由来)

ユダヤ人達は帰る国を失い、世界中に散り散りになってしまいました。

その後、どこへ行っても迫害される苦難の歴史が1000年以上続きました。

325年頃:聖墳墓教会の建立

聖墳墓教会(Wikipediaより引用)

ユダヤ戦争が終結してから約250年後。

キリスト教大好きだったコンスタンティヌス帝は、ゴルゴタの丘に教会の建設を命じます。

この時建設されたのが聖墳墓教会です。

エルサレムはユダヤ教の聖地に加えてキリスト教の聖地にもなりました。

692年:岩のドーム建立

岩のドーム(Wikipediaより引用)

7世紀に入り、パレスチナ地方はイスラム王朝の支配下になっていました。

682年にかつてのエルサレム神殿の敷地内に岩のドームが建設されました。

イスラム教の預言者ムハンマドが、一夜のうちに昇天する旅を体験した伝説の場所とされています。

エルサレムはユダヤ教、キリスト教に加え、イスラム教の聖地にもなったのです。

1096年~十字軍遠征

十字軍(Wikipediaより引用)

11世紀に入ってもエルサレムはイスラム王朝の支配下にありました。

アナトリア半島(現在のトルコ)をイスラム王朝に占領された東ローマ帝国はローマ教皇に救援を依頼。

この時の大義名分として、エルサレムをイスラム教徒から奪還すると教皇が騎士たちに呼びかけます。

こうして結成された十字軍はイスラム王朝に勝利し、エルサレム王国(キリスト教の国)を建国します。

20世紀初頭:イギリスの三枚舌外交

ユニオンジャック(Wikipediaより引用)

エルサレム王国→マムルーク朝→オスマン帝国と変遷してきたパレスチナ地方。

20世紀に入り、オスマン帝国は弱体化していました。

第一次世界大戦でオスマン帝国と敵対していたイギリスは、以下の3つの協定を結びました。

1915年10月 – フサイン=マクマホン協定

オスマン帝国支配下のアラブ人居住地の独立を支持

オスマン帝国内でのアラブ反乱を促す目的の協定です。

1916年5月 – サイクス・ピコ協定

オスマン帝国の領土をイギリスとフランスで分割統治することを提案。

イギリス、フランス、ロシア帝国の間で結ばれた秘密協定です。

同盟関係にあったフランスに配慮した協定でした。

1917年11月 – バルフォア宣言

パレスチナにおけるユダヤ人居住地建設を支持。

19世紀になると、世界中に散り散りになったユダヤ人の間でシオニズム運動が盛んになります。

シオンの丘(エルサレム)に帰ろうという建国運動ですね。

シオニズム運動を支持することで、ユダヤ人から戦費を引き出す狙いの外交政策です。

イギリス委任統治領パレスチナ(Wikipediaより引用)

第一次世界大戦終結後、パレスチナはイギリスの委任統治下に置かれました。

ユダヤ人の移民が本格的に始まり、アラブ人との衝突が始まります。

1000年以上住んでいた土地にいきなりユダヤ人の国を勝手に作られ、追い出されたアラブ人は納得できないですよね。

日本に例えると、2000年前は僕らの土地だったんでと言われ、謎の外国人に本州から追い出されるイメージです。

第二次世界大戦が終わる頃には収拾がつかなくなり、イギリスはパレスチナ問題を国連に丸投げ

1948年:イスラエル独立宣言→第一次中東戦争

1948年5月14日、イスラエル独立が宣言され、ユダヤ人の国家が創設されました。

同日、アラブ連盟5カ国がイスラエルに対し戦争を宣言し、翌日にパレスチナに侵攻。

アラブ諸国有利で始まりましたが、イスラエルが反撃して逆転。

イスラエルの事実上の勝利で停戦し、戦後はパレスチナをイスラエルが占領しました。

1956年:第二次中東戦争

スエズ運河(毎日新聞より引用)

エジプトがスエズ運河を国有化しようとした際、イギリスとフランスが妨害を試みます。

エジプトと対立していたイスラエルと英仏が密約を結び、エジプトに侵攻したことで第二次中東戦争が勃発。

当初は英仏側が有利でしたが、国際社会からの批判や米露の介入もあり停戦。

エジプトが耐え抜いたことで、この戦争はアラブ側の勝利として終わりました。

1967年:第三次中東戦争

イスラエルとパレスチナ(ヤフーニュースより引用)

イスラエル空軍がアラブ各国の基地を奇襲攻撃し、第三次中東戦争が勃発。

ヨルダン領ヨルダン川西岸地区
エジプト領ガザ地区とシナイ半島
シリア領ゴラン高原

わずか6日間で停戦し、イスラエルが領土を拡大しました。

1973年:第四次中東戦争

オイルショック(日刊ゲンダイより引用)

イスラエルに奪われた領地の奪還を目指し、エジプト・シリア両軍がイスラエルに侵攻。

戦争初期にはアラブ側がイスラエルを圧倒しますが、戦局はイスラエル優位に傾いたところで国連の介入により停戦。

1982年にシナイ半島はエジプトに返還されました。

3週間で終結しましたが、戦争中にOPECが石油価格を大幅に引き上げたことでオイルショックが発生。

世界中の経済が混乱しました。

1993年:オスロ合意

オスロ合意(Wikipediaより引用)

1988年に独立宣言をしたパレスチナ自治政府(PLO)。

1993年にはイスラエルとの間でオスロ合意が結ばれます。

今後は仲良くやっていこうねという双方の歩み寄りですね。

画像の左側がイスラエルのラビン首相、右側がパレスチナ自治政府(PLO)のアラファト議長です。

2006年:ハマスが政権獲得→ガザ侵攻

ハマスとファタハ(朝日新聞デジタルより引用)

パレスチナには2つの派閥があり、概要をまとめると以下の通り。

ハマス
・ガザ地区を支配
・反イスラエル
・強硬派
ファタハ
・ヨルダン川西岸地区を支配
・イスラエル融和派
・穏健派

2006年1月の選挙で、反イスラエルのハマスが政権を獲得します。

イスラエルのミサイル誤射がきっかけで、ハマスがイスラエルとの停戦合意を破棄してイスラエルに攻撃。

しかし、イスラエル軍の反撃を受けて逆にガザ地区に侵攻されます。

これによりハマスの支持率が低下し、ファタハとの対立が激化。

パレスチナは東西分裂状態になってしまいました。

今回イスラエルにロケット弾攻撃を仕掛けたのはハマスです。

2022年:ネタニヤフ政権発足

ベンヤミン・ネタニヤフ(Wikipediaより引用)

1996年に首相に選出されて以降、現在までに6回首相に選出されているベンヤミン・ネタニヤフ氏。

ハマスに対しては強硬な姿勢を取っています。

2023年10月7日のハマスからの攻撃を受け、翌日にハマスに対する宣戦布告を宣言しました。

【小学生でもわかる】ハマスとイスラエルの関係をわかりやすく解説!

ハマスとイスラエルの関係を順に見てきました。

パレスチナ地方についてざっくりまとめると、

・3000年前はユダヤ人が住んでいた
・ユダヤ人は2000年近く祖国がない状態で迫害されてきた
・エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地
・イギリスの三枚舌外交でパレスチナにイスラエル建国
・住む土地を突然追い出されたアラブ系民族とイスラエルの対立が激化
・ハマスは反イスラエルの強硬派
・ネタニヤフ首相はハマスに対して強硬姿勢

2000年以上続く複雑な歴史的背景があることがわかりますね。

ハマスとイスラエルの問題は簡単には解決しなさそうです。

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